以下コピペ
僕は、朝日新聞、朝日ジャーナル、岩波世界等を読んで育ち、筑紫哲也の番組を見て
天皇制は廃止しろと思い、左翼のテロに共感し、在日は強制連行された犠牲者で従軍慰安婦は
日本軍に人さらいされたと信じていた人間だ
村山が韓国で謝罪した時は自分の罪が少し軽くなった気がしたものだ
まさに「良心的日本人」の典型だったわけだ
今年で50になる、大学で教えている、で今は、あんたらが言う「ネトウヨ」だ
「ネトウヨ」とは、在日朝鮮・韓国人とそのシンパの左翼の洗脳が解けた、
普段は意識しない程度の愛国心を持つ、政治的には中道と言って良い日本人のことだ
40代50台の「良心的日本人」が次々と「ネトウヨ」に転向している、ネットの影響が大きい
そして、逆の転向者は今まで見たことがない
学生たちの年代では、昔に比べて「良心的日本人」「在日に同情的な左翼」は極端に減っている
こんな変化で、鬱になり1年以上大学にでてこられなくなった在日韓国人の教員もいる
ある日気が付いたら、周りの人間たちが変ってしまっていたらそりゃ恐ろしいさ
この変化は加速する事はあっても、元に戻る事は絶対にない、嘘がばれたが故の変化だからだよ
この国でどう生きていくのか、親たちの世代にとらわれず、自分の頭でしっかり考えろ
生き方を変えるなら早いほど良いぞ
αα
初出のポジションはA面4曲目。
目玉ではないが、アルバムの幅を広げる、厚みを持たせる曲の持ち場である。
3曲目からうって変わり、疾走感あふれるその曲は、目立たないポジションに
収まりつつも、どこか印象深く残る曲だった。
これは僕だけが思っていたことではないということは、FINAL3DAYSのラストに
置かれたと言う事実が全て物語っている。
当時、各メンバーに選曲は聖飢魔II名義のものからというこだわりがあったとしたら、
はたして世に出ていただろうかと、偶然が生んだ大きな分岐点を感じる。
と同時に、進化と前進を念頭に置いてリリースを決意したバンドの意気込みを
この一曲に感じ取ったと言うのは、寒々しい戯れ言だろうか。
EL・DO・RA・DOは、教典に最も多く収録され、バージョンも多数存在する。
今回取り上げるのはEmバージョンで、デーモンの艶やかなハイトーンが映える
出来になっている。
ドラマティックでありながら、どこか気持ちが高揚するような曲調で、
メロディー感もある完成されていながら成長中の曲なのではないかなあ。
ゼノンは一曲通してピック弾きをし、ジェイルも作曲者ルークと似て非なる
オブリをあてて、らしさを前面に出したり、各々がただ曲をなぞるのではなく
聖飢魔IIを強く意識して取り組んでいる姿勢が現れている。
結局、頭数をそろえたに過ぎないという結果になっていないのだ。
このアルバムでエースがソロをとる。
エースはデビューからしばらくの間、メロディアスギタリストと
紹介されていた記憶があり、テクニックの面では語られることが少なかった。
事実、セカンドでソロをとった曲はいずれも、アマチュアでもがんばれば
弾くことが出来た。
※原曲でダミアンが弾いていた部分をエースの色に変えるという部分で
相当の試行錯誤があっただろうが。
オクターヴァーで重厚感を増したかけ上がりで始まり、全体的にそれまでで
一番譜割を細かくしたフレーズを奏でることで、HM/HRギタリストだよ!と
アピールしつつ、エースの持ち味「メロディアス」を活かした軽快なメロディを
聴かせてくれる。
今聴いても一番好きなバージョンである。
(当時)謎のメンバーだったダミアン浜田作曲。
PLUMのインタビューで「原曲は当時ミサに来ていた客があまりに
どんよりしたから、そのミサ以来演奏したことが無い。」と、デーモンが言っていた。
他にもサンプラザ中野のANNで「モアイ」と言うコーラスをして、、、
なんて話を聞いて、曲の出来はともかく、アルバムの発売が待ち遠しくて仕方が無かった。
聴いた。
あぁ、どんよりだなあ。と思った。
が、二番明けの荒々しいジェイルのソロ、ゼノンのソロと、たたみかける
スピーディーかつドラマティックな展開が妙に心地よかった。
後々いろいろ見ると、ここから5曲目までが過去曲で穴うめ大会だったようだが。
それも必然だったのではないだろうか。
初めて見たのは87年のツアー。ベースソロからライデンソロに移って、という
リズムソロのパターンはここから始まった記憶がある。
「新しいコードを発見した!」「新しいテクニックを開発した!」
当時のジェイルのテクニカル指向、音楽重視の指向がビンビンと伝わる
インタビューやらなんやらが各種媒体に躍っていた。
デーモンが改造手術中に創世記(FULL)とともに演奏されていた位、
披露したくて仕方が無かったんだろうなぁ。
原題WALK IN THE HELL
たあD、後期聖飢魔IIの音楽性とは対局のギター重視の楽曲で、はっきり言えば
歌メロは単調な曲だ。
ギターソロはジェイルがうなりまくっていて、最後のコードタッピング
(ボスハンド)でしめる、当時の高等テクニックがフィーチャーされている。
聖飢魔IIが変わることを暗示させたと言っても過言でない一曲である。
このアルバムを出した数ヶ月後にジェイルは脱退するが、その後は
知る限りでは、中期には披露される機会がなく、忘れた頃に突然ミサの
セットリストにラインアップされていたものである。
また、聴くたびにギターソロの担当が変わっていた記憶がある。
以下、僕が見に行ったミサで披露されたものを記載します。
86年の大黒ミサツアーでは、レコードのとおりジェイルが担当。
87年のルーク初参加ツアーでは、ルークがジェイルソロをコピーして披露。
※後にルークは「あの両手タッピングの評判が悪くてねぇ。」と
PLUMだかなんだかのインタビューで語っていた。
95年悪魔が来たりてヘヴィメタる第二章では、エースが弾ききった。
※タッピング部分はユニゾンチョーキングを絡めた感じで
エースらしく弾いていた。
99年ULTIMATE BLACK MASS二日目ではエースとジェイルの掛け合いで、
久々にジェイルのコードタッピングを見られた。
05年もJ&Aのバトル形式だった。
疾走感を最優先にすると、ジェイルに弾き倒してもらうのが一番カッコいい
パターンだと思うけど、エースらしさが光るソロもまた乙なものである。
コードタッピングは25年経っても、どう弾いてるかつかみきれないところが
憎たらしい。
要は、認知度は高いのに隠れた名曲的なポジションにある不思議な曲だということ。
はげじいいとかは、もういいよね。
初めて聴いた時、ロックの知識が全くない中学生の頃だった。
インタビューかなんかで、KILL THE KINGのパロディという記述を見て、
「KILL THE KINGってなんだよ!KILL THE KING GHIDRAHだろ!」と、
青い中学生よろしく、限られた視野の中で行き場の無い憤りを感じていた。
なんかよくわかんないけど、センチュリーみたいに早い曲だなあと思いながら
聴いていた。
同時に、一曲目なのに長ぇなあ。と理由無き理屈をこねていた気がする。
今思えば、当時のこのバンドを取り巻く激変の渦中に、ロックギタリストで
あり続けたいというジェイルの様々な思いが溢れ出してしょうがない状態に
なって、結果、作曲のモチベーションに昇華して楽曲として生まれたのかなあ。
ギターソロは、ジェイルのフラストレーションがストレートに旋律に
現れているように聴こえるからねぇ。
※時間が経って、当時の状況なんかが分かる話を目にして耳にして感じた印象だけど。
そんな荒々しく、聖飢魔IIの新たな一面を表した曲だったが、
後年ほとんど演奏されることのない、立ち位置の定まらない一曲である。
ただ、この曲はジェイルが演奏しなければ、様にならないことも事実である。
オープニングについては、、、いろんなところで取り上げてるからいいや。
イントロ一聴でK.O.された。
1曲目がTHE END OF THE CENTURYで、ラストをこの曲で締められたら、
このアルバムサイコーと言うしかないだろうに。
収録曲10曲未満のアルバムなのに曲もバラエティに富んで、聖飢魔IIとは?をサウンドで
知らしめるのに申し分ない作品だ。
このバージョンは最初から最後までまるまるジェイルが大フューチャーされているが、
真のMVPは、後ろでひたすら刻みまくっているエースである。
この曲以外でも、ジェイルが白玉で伸ばす中、ズンズク刻むのはいつもエースだった。
陰の功労者ですな。
歌詞もギターソロも格好良すぎだねえ。
気付いてみたら20数年コンスタントに聴き続けている曲だった。
ちなみに曲後のアレは、ピッチシフターを通すと、一人芝居を楽しめて、
結構面白い。
この曲は、曲前の語りがあるCDバージョンの方がかっこいい。
途中からフェードインするベースがいい。
それでもって、歌詞に不思議な点がいくつかある。
ダリアなぜに怪奇植物か。
一番の歌詞は動物をうたっている気がするが、原題は別物だったのか。
レコード収録までの間にジェイルがリフを作りかえたというエピソードもある通り、
原曲とはかけ離れた曲なのか。
そんな俺は深読みし過ぎなのか。
ギターソロは怪しい雰囲気プンプンで、アーミング、トリルの組み合わせ、フレーズ構成が
素晴らしく、ジェイルの色が非常に強く出ていて、ラストのディミニッシュの締めを通過し、
ソロあけの「満月の夜〜」からラストまでの展開がたまらない。
展開も多岐にわたり、複雑怪奇な出来上がりになっているのである。
この曲はもっと高く評価されるべきだと思う。
聖飢魔IIのファンタジーサイドを担う隠れた名曲。
地獄とは悪魔とはを直接的な表現で歌う一方で、ホラーストーリーを歌う曲がいくつかあり、
その一つが蠟人形の館。
謎の老人にとらわれた少女が、蠟人形にされる様を曲にしている。
記念すべきファーストシングルだが、残虐ワールド前回で、仮に85年9月の段階で
発売していたらここまで有名になることは無かっただろう。
発売当初、デーモンの悪魔を貫き通すキャラクターが受け、バンドよりもデーモン一名が
クローズアップされた形になり、テレビを初め各メディアへの露出も急増したため、
世間ではこの曲は「=聖飢魔II」のイメージが植え付けられ、メンバーは最後まで
蠟人形越えを目指すことになってしまったという。
イントロはクレイジートレインのぱくりと言われることがあるが、続く曲は全くの別物に
仕上がっていて、あちらは軽快な曲だが、こちらは重厚な仕上がりで、そのギャップが面白い。
というか、イントロからおどろおどろしいイメージを引っ張って、一曲に仕上げたところは
ダミアンの非凡な作曲センスと言われる部分だと思う。
※実際に引用を全くしていなかったら、この段落は成り立たなくなるね・・・
サビの「蠟人形になっちゃった」と歌われる少女の無情さは、当時平行してテレビに姿を
現す、悪魔とか言ってる白い顔のヘビメタの奴。と、嘲笑されがちなパブリックイメージを
バンドが本道だ!という強い主張で覆しているように見える。
PVの教室のシーンは、当時の日本大学芸術学部校舎、ミサのシーンは中野のスーパー
ロフトで行われたようで、ドアを叩く少女が気付いたらミサに参拝していたことになり、
生きててよかった。と一瞬思うのだが、ラストの無音部で・・・
善かれ悪しかれ、聖飢魔IIを語る際には、さけて通れない一曲だ。
発表当初は、扱いあまりよくなかったのかな?
B面曲、CDとカセット版のみ収録。当時レコード1,500円、カセット2,800円、CD3,200円
レコード →6曲収録、語りなし
カセット、CD →8曲収録、語りあり
2曲追加でプラス1,300円、1,700円はちょっとしんどい状態だった。
この辺から数年間はCDへの移行期間だったので、この段階ではレコードが主流。
そんな境遇で収録されたこの曲は、最初ぼや〜んとした印象だったが、解散の頃には
ミサで叩き上げられた風格を携え、代表曲となっていた。
「俺の名は衝動殺人者RAY」を、「I'm jack the ripper, coming from the(my) hell.」と
当てはめたのは、世界観を崩さずに曲の格を上げた妙技だ。
衝動殺人者は切り裂きジャックをモチーフにしたのか、衝動殺人者から切り裂きジャックが
イメージされたのか、「衝動殺人者」「JACK THE RIPPER」の関連性を知りたいものだ。
イントロのツインリード前のリフは、夜のロンドンで街頭を逃げ惑う娼婦を、無表情に淡々と
追うJACKの光景が目に浮かび、一人殺した後、叫び声とともに客観から主観に変わる感じが
よく出ている。
ギターソロも詩の世界観を継承しつつ、エースの持ち味が存分に発揮されたものになっている。
地獄の皇太子と同様に、ソロ明けの歌メロのバックのギターフレーズは、歌を曲を盛り上げる。
それでいながら、あっさりと消えて終わるこの曲。
もう少し早いテンポで収録されていればよかったなあと思う。
静かなクリーントーンから始まるこの曲。
当時、X.Q.JONAHに次いで現れた、聖飢魔IIのバラード曲である。
俺でも弾けそう!という単純な動機で、ギターを持って一番最初にコピーした曲で、
弾けたときは友達に延々と聴かせまくり、友人をただひたすらにうんざりさせた記憶がある。
・・・反省
ミサではLIBIDOのようにツインボーカルの曲だった。
俺が見た時には既にゾッドがいなかったので、確かD&Aで歌っていた気がする。
主旋律をデーモンが歌っているが、エースのパートの方が主旋律に聴こえていた。
風景が浮かぶ曲、というftaのコンセプトを地でいっているような曲で、
聴くと荒廃した教会が目に浮かぶのである。
手数の少ないソロパートが非常に印象的で、今も好きな曲だが、この部分はAとJの
どちらが弾いているのか、わからないまま解散してしまった。
当時生演奏を見ているのは間違いないが、記憶に残っていない・・・
※デーモンが曲後のMCで、この会場は初めてアイドル拍手(タン タタン)がなく、
曲を聴き入っていた。とほめていたのは記憶に残っている。
ラストのアーアーアーアーで四声のハーモニーでクライマックスを迎えるのは、
当時のメンバーのプロ意識の現れだろうか。
そんなことを回想しつつ、A面を奏でるレコード針はしばしの急速に入るのだった。
機会があれば、このアルバムは是非ともレコードも聴いてもらいたい。